九つの、物語

九つの、物語

九つの、物語

著者自らいまの自分の全てを注ぎ込んだと自負する渾身の一作。
ひょっこりと姿を現せた“2年前に居なくなった”はずの兄。
不意に取り戻した兄との穏やかな日々。
そしてその裏に眠る記憶と真実。
人は誤り、傷つくこともあるけれど、この先に待つであろう幸せのために生き続ける。
過去の過ちもいまの自分の糧にして、だから「おまえはおまえの人生を送れ」



橋本さんの作品の根底に共通してあるように感じられる“生きること”*1がまっすぐ丁寧に書かれた作品。
タイトルからすると一見して短編集かと思われるけれど、九話からなるひとつの長編。
九つの物語とは、読者の兄の蔵書から作中でゆきなが実際に読む作品たち。
そして泉鏡花から始まりサリンジャーまで*2のゆきなが触れたそれら文学作品そのものと本編との関係は薄いものではなく、きちんと意味があるという趣向の凝った作りがされています。


今回もとてもメッセージ性が高いです。
それも「こうなんだ」と明確なものを提示するのではなく、読者の捉え方に任せる部分の多い所もこれまで通り。
それ故に、書き手が完成させ読み手に解釈の余地を残さず投げてきたものをただ漫然と受け取るだけで良い作品と比べ、ある種“難しい”とも言えます。
ゆっくりとおだやかに、しみじみと噛み締めるのが良いという印象の作品。


尚、橋本さんが「ここ数年のあいだに僕が書いたものの中で、もっともいい作品の一つ」と公言しているのを受けてあえて言うのですが、僕にとっては一番の作品とはなりませんでした。
橋本さんの書いた作品にはもっと良い(好きというべきか)ものがいくつかあり、強いていえば先頭集団ではなく第二グループ。
但し、今は。
「今は」というのは先にも書いたとおり読み手次第のところがあるから。
人生も恋愛も何もかも経験が浅くひよっ子のいまの僕にはそう感じられても、恐らくこの先いつか読み返した時には違う感想を持つだろうとそんな予感がするんです。
いつ読んでも感想が変わらない作品ではなく、読んだ時の自分によって違った感慨が湧く作品の方が面白い、そう思います。
だから橋本さんの書く作品は好きなんですよね。

*1:「人生」などの言葉に置き換えても良い。コレ!という的確な表現がないが、兎に角もそういったニュアンスの何か。

*2:太宰、一葉、井伏など